51年振りのヒュッテ・ジャヴェル 高橋進さん

先週の3連休を利用して、私と家内と私の友人夫婦の4人で、ヒュッテ・ジャヴェルを探しながらお伺いし、事前にお願いをしていましたジャーマンピッツアを2種類各2枚を我々男はジャーマンビヤーと共に大変美味しく頂きました。丁度満腹になる量でした。

私は現在68歳ですが、何と今から51年前の17歳の時に、このヒュッテ・ジャヴェルに泊まっているのです。当時私は大阪の府立東住吉高校の2年生でしたが、当時の堀江駒太郎校長の方針で、修学旅行でこの霧ヶ峰に、確か3泊4日位で、内1泊がヒュッテジャヴェルでした。 

元々山が好きで、当時その高校の山岳部に所属していた私は、その霧ヶ峰キャンプを、どれ程楽しんだか、また、このキャンプで女生徒との距離がどれだけ短くなったか、本当に人生の中で、最も楽しい時期であった様に思っています。そしてその頃は、本気で将来は山小屋の親父になりたいと思っておりました。

大学は山岳部よりワンダーフォーゲル部の活動の方が活発で会った為、ワンダーフォーゲル部に所属し、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳連邦、また、北海道の山々をスキーを含めて年間135日程家を空けておりました。本当に山だけの大学生活でした。

大学を出て、東京の貿易会社に就職し、たまに同僚とスキーに行く位で、山登りとは全く縁の無い生活が始まり、結婚し子供が出来て、また、海外駐在も致しましたので、全く山とは関係の無い生活が続きました。

その後、京都の京セラに転職し、京都に15年近く住みましたが、朝から夜遅くまでの仕事で、山の事等考える余裕もありませんでした。そしてその後、京セラ時代の仕事の関係で、外資系の会社を立ち上げる事になり、丁度10年が過ぎる頃から、やはり山が好きなので、毎年蓼科のペンションや蓼科東急リゾートに来る様になり、8年前からは、蓼科の三井の森の個人の別荘を、夏休みの1週間を連続して借りて涼しさを満喫する様になり、大阪からは遠いのに夏は蓼科と言う生活がしみ込んでしまいました。そしてそのルーツを辿ると霧ヶ峰のヒュッテ・ジャヴェルであると思っています。

そして、6年前にはその貸別荘の直ぐ近くの、元東京電力の保養所の跡地が整地分譲されている事を聞き見た所、北に蓼科山、東に北八ヶ岳連峰が見える絶好の区画があった為、思わず衝動買いをしてしまいました。

しかし、その3年前には肺癌になり、片肺切除の手術を受けていましたので、何時転移するかも分からない状態でしたし、残っている方の肺にも抗酸菌が巣くっており建屋を建てるのは躊躇をしておりましたが、昨年思い切って、自分で基本設計をした小屋を建ててしまいました。今はまだ現役ですが、来年1月末には退任し、5?10月の間は蓼科に住むつもりでいます。

小屋が出来上がったのは昨年ですが、家具や調度品や電気製品を揃えたりするのに、1年以上掛かりました。その間、夏休みや正月休みには子供と孫達が来ておりましたが、やっと、先週の3連休前にほぼ全てが整い、芝刈りも終わった為、その昔の友人と、車山から霧ヶ峰の計画を立て、ヒュッテ・ジャヴェル訪問のドライブに出た訳です。

現在のヒュッテ・ジャヴェルは森の中と言う感じですが、51年前はもっと回りが開けていた様に思います。周りの木々が大きくなったからでしょうか。食堂で騒ぎながら食事をした事を覚えていますが、この次は孫達を連れてお伺いしたく思っています。高校生をこんな素晴らしい所に来させてくれた堀江校長に改めて感謝をすると共に、勝手なお願いですが、この素晴らしいヒュッテ・ジャヴェルを何時までも今のまま守って頂きたく思います。どうか宜しくお願い致します。

豊中市在住

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