報告 復活第4回「霧ヶ峰・山の會」

日程2008年10月25日(土)~27日(月)
場所霧ヶ峰 ヒュッテ ジャヴェル

今年も初日は雨だった。しかし、去年とは違って雨は穏やかで細かく、カラマツのまだ染まりきらぬ黄金色、カエデやナナカマドの赤などを渋く包む。そんな霧ヶ峰の秋色のなかを、ゆったりと歩を運ぶ人びとがお馴染みのヒュッテに集まってきた。参加者は23名。
今年、ヒュッテのダイニングルームや廊下を飾るのは、若狭宣子水彩画展である。若狭氏は茅野市にアトリエを構え、八ヶ岳山麓や霧ヶ峰を巡って山の植物・風景を鮮やかな水彩で描く。手造りの絵葉書・レターセットも添えている。

● 第1日 (25日)
4回も重ねると、手順もタイムテーブルもほぼ固まってよどみなく進む。実行委員と参加者、参加者相互が久闊を叙しあいながらオープニングを待つ。

○16時30分、ダイニングルームで開会ミーティングが始まる。実行委員の布川が開会・歓迎の辞を述べ、実行委員の金子弘吉と高橋保夫を紹介する。金子が山岳書(例年どおり古書・新刊書が豊富に並ぶ)・絵画の頒布について、高橋が日程の詳細について説明、参会者が自己紹介しあ う。

○19時30分、日本山岳会会員・五十嶋一晃氏によるレクチュア「田部重治の霧ヶ峰」が始まる。
五十嶋氏は太郎小屋の開業者である。(現在は実弟・博文氏が経営)。田部重治とは、出身地(富山県上新川郡)を同じくするだけでなく、田部が、その創立(大正13年、1924)から21年間、部長を務めた法政大学山岳部の出身。五十嶋の部員時代、田部はすでに退いてはいたが、OB会(山想会)などでの講話に何度も接したという。そして、『山岳』(日本山岳会機関誌)第93および94年に、精細な「田部重治の登山と英文学」を発表。

○五十嶋氏は、田部の家系・経歴・学問・登山観の形成などの概略を説明して主題に入る。田部は霧ヶ峰に前後3回、足を踏み入れていること、中西悟堂によってヒュッテ霧ヶ峰開業以前から長尾宏也を識っていて、スキーでヒュッテに泊まったこと、また、長尾に木暮理太郎を紹介したのは、おそらく田部であろうこと、などを語る。
そのうえで、田部にとって霧ヶ峰は、美ヶ原とともに最も大きく美しく、高原たる要件を満たす場であって、山のひとつとして独自の価値を認めていたとする。


● 第2日 (26日)
○ 会期3日のうち、最もタフな1日だが、今日も雨模様である。朝、ワンデルンクへ出発しようとするところへ、『長野日報』記者・宮坂早苗氏が取材に飛びこんできた。この日、諏訪湖マラソンだけでなく、霧ヶ峰周辺にイベントがいくつも重なっているという。宮坂記者による「山の會」記事はワンデルンク出発を撮影した写真付きで、翌27日の紙面に掲載された。

○当初、鷲ヶ峰に登り和田峠周辺を探る予定だったが、静岡から参加された山岳ガイド・上野真一郎氏の提言で変更した。男女倉から本沢沿いに南下、鷲ヶ峰を北西にみて八島ヶ原湿原に到るルート。上野氏は踏査を重ね熟知されているという。それに前夜、五十嶋氏が紹介した田部重治、最初の霧ヶ峰入りルートと同山域だ。
マイカー参加者のもとへメンバーを配分して男女倉に走る。上野氏を先頭に、曇天の雑木林を登る。紅葉は霧に包まれて淡く柔らかい。ルートは確かで、沢音が近づいたり遠ざかったりしてシラカバ林に入る。やや進み、平らな地形を得て弁当を使う。再び行をおこし、斜度を増したルートを登ると八島ヶ原を見下ろす地点に飛び出した。2万5千図「霧ヶ峰」に示されているルートだったが、参加者全員、初めてだった。

○ヒュッテ帰着、一息つくと午後のレクチュア――――霧ヶ峰自然保護センター・逢沢浩明氏による「霧ヶ峰の動物事情」が待つ。逢沢氏は視覚素材を活用して、世界的にも稀少とされる高層湿原・霧ヶ峰の特徴を、尾瀬などと比較しながら地形・植生から説明する。
さらに、北海道・稚内や根室に似た気候を重ね、年間平均気温4.3°C、霧の発生日数265日などのデータを示す。
そのうえで、昆虫・鳥類。哺乳類などの生息状況を述べる。現下、対策に急を要する難題は、ニホンシカの急増、外来種・ハクビシンによる在来種駆除、ツキノワ グマの人里接近などだという。農業政策、森林管理、環境保護を一体化した対応の必要性を熱く説いた。

○夕食後は珍しいリュートの演奏会。リュートとは、中世ルネッサン期の欧州に流布した弦楽器で、ギターと同じように爪で弾く。時代・地域により種類も多様だという。この夜の出演は水戸茂雄氏。日本におけるリュート演奏の第一人者、世界で活躍する。「山の音」と題してルネッサンス・リュートでフランス、イギリス、ドイツ、イタリアの9曲、スペイン楽器のピウレア(ザビエルが日本に持参、セミナリオで演奏したといわれる)で2曲、バロック・リュートでフランスとドイツの4曲とアンコール曲をプログラムとした。素朴にして典雅、秋の夜のひととき、夢に誘う不思議な音色に包まれた。

○21時からは恒例の大放談会だが、今年は趣向を凝らしてあった。この「山の會」参加者のなかには、個人またはグループでユニークなフィールドの活動を担っている人が少なくない。実行委員会はその点に注目して予めその報告を依頼し、放談会を充実させようとしたのである。今回は、「原風景探訪の旅」を主宰する川上嘉彦氏(大阪・高槻市)と独り「山と人間の関係史年表」作成に勤しむ 渡辺陸氏(埼玉・富士見市)とにご登場願った。
自らの記憶のなかの風景、自然と人びととの生活・歴史・文化が織りなす風景、そして、どこにもある、ありふれた風景を訪ねる。それは自分で創り、五感で感じとり、新しい出会いと交流を生む拡がり豊かな旅である。そうした体験をインターネットやブログ、さらに研究会など多様な方法を駆使して、川上氏は同好の士を日本余暇学会に束ねる。
一方、渡辺氏は従来の登山史に根源的な疑念を突きつけてやまない。先端的な登山活動を担い推進する英雄的エリート主体の登山史ではなく、大衆的な登山状況、山の本の書き手たちの山旅・山小屋・登山道・交通機関などに広く細かく目を注ぐ。独り黙々とその膨大な作業を重ね、手造りでA4判600ページをこす冊子にまとめ、さらに改訂に取り組む。
お二人の並なみならぬ営為の報告を聞いて参加者は完全に気圧され、感嘆の声しきり。


● 第3日 (27日)
○霧ヶ峰にようやく青空が戻ってきた。最終日の朝、霧ヶ峰自然保護センターへ山道をたどる。再び、逢沢氏から霧ヶ峰の植物事情について簡単な説明を受ける。それにしても、この国の環境保護体制の弱体ぶりには呆れるばかりだ。

○ヒュッテに戻り、これも恒例、諏訪のそば処・小坂のそばに舌鼓をうつ。

○13時すぎ、解散ミーティング。実行委員会から全員に参加証を配布、別れを惜しみ、再会を約して閉会。

          「霧ヶ峰・山の會」実行委員会